狼涙 第1話「謎」

声は夜空に響いて木霊する。
満月の夜、その声は更に歓喜を増す。
満月だ。満月だ――――……。
静寂の中にただ一つ、その声だけが音となる。
風に煽られた木々はさわさわと葉を擦り合わせるのみ。
其れは、必ず満月の夜に起こる。
だからきっと今日も…………――









此処、矢葺町は関東の北部に位置する片田舎だ。
町と付いてはいるが、実際はほとんど栄えておらず、小学校と中学校は同じ建物内にあるし生徒数も少ない。
町の高等学校も一つしかなく、そこも一クラス20人程度の少人数だ。
隣町から通う生徒もおり、高等学校は少人数と言っても小中学校よりは人数が多い。
遊び場といえば専ら都心で、若者は時間を苦にもせず、バスで2時間かけて遊びに出ている。

そんな田舎に今現在、大事件が起こっていた。
女性ばかりを狙った殺人事件だ。
手口や犯行時間が同じことから町の警察は同一犯と考えているらしい。
この事件が町民を震え上がらせている。
此処1~2年の間に増え始め、今月でもう20人以上もの死亡者が出ていて、全国ニュースで取り上げられるほどだ。
一時、取材陣で人が溢れかえっていた。
そして、一颯愛莉もその事件の真相を追う一記者である。

「で、今全校生徒に聞き込み調査をしてる所なんだけど、是非市瀬君もご意見をお聞かせください!」

ずい、とマイク代わりにボールペンを彼の口元へ持って行く。
下校途中の生徒で賑わう廊下に、一際大きくこの声が響いた。
急に背後から声を掛けられ、彼は怪訝そうな顔をして、けれどそのボールペンを受け取り口を開く。

「興味ないな」
「全く!? 全然!? この町で起きてる事なんだよ!?」

信じられない、と言う表情で愛莉は捲し立てる。
市瀬、と呼ばれた少年は律儀に自分の考えを愛莉に話し始めた。

「俺は、興味ない。だって、狙われるのは女ばっかりなんだろ? 俺は関係ないだろ」
「そうだよねー。他の男子もそんな感じなんだよー」
「じゃあ、もう行くぞ? お前もそんな事ばっかやってないでさっさと帰れよ、物騒なの解ってんだから」
「うん、ありがと。あ、後別件なんだけど、今度市瀬君にお話聞きたいんだけどいいかなぁ?」
「暇だったらな」
「ん、じゃあまた明日ね!」

彼は短くじゃ、と言い愛莉に背を向けて歩き出した。
愛莉はメモ帳に走り書きをし、それを制服の右ポケットに仕舞い込む。
自分も身支度をしなければ、と駆け足で教室へと飛び込んだ。
外を見ると、既に日が傾き始めている。
先ほど、事件の話をしたばかりなのもあり、恐怖から愛莉はぶるりと体を震わせた。
夜になると町民は皆外出をしない。
それは、事件のせいもあったが、この町に伝わる風習の所為でもあった。
急いで鞄に教科書やノート、ペンケースを詰め込み、手早く教室を後にした。

学校を出て、歩道を挟んだ向かい側には、学生御用達のコンビニエンスストアが1軒、周りの風景と相容れることなくその文明的な存在を主張している。
今日も帰路へ着く前の学生が2~3人自動ドアの前で立ち話をしている。
1人が姿勢を変える度にドアが開き、店内で流れている流行の曲が耳を掠める。
其れを横目に、愛莉は帰路へと急ぐ。
彼らもまた、愛莉の急ぐ様を見て、腕時計を確認し慌ただしくその場を離れた。
5分程歩くと直ぐにアスファルトはデコボコと凹凸を作り始め、まるで文明を拒絶するかのように砂利と土で固められた田舎特有のあの畦道へと姿を変える。
夕日も間もなく山の間に隠れようとしている。
外灯と呼べる物すら視界には数える程しか見当たらない未舗装の道。
愛莉は家へと急いだ。

(殺人犯が出てもおかしくない雰囲気だもんね……)

愛莉は勢いよく、自宅のドアを開けた。
鍵はもともと掛かってはいない。
なぜなら、母親が専業主婦で毎日家にいるからだ。
玄関に入ろうとして、大きな背中にぶつかった。
鼻先を擦りつつ、愛莉はぶつかった相手を確認する。
身長は高く、大柄な男で、背広を見に纏っていた。
後ろから伺う事しか出来ないので、あまり特徴の無いその男に愛莉は首を傾げる。
すると、男が振り返り愛莉は小さくあ、と声を出した。

「お兄ちゃん!」
「愛莉か、お帰り」

愛莉にお兄ちゃん、と呼ばれた男は、やんわりと微笑んだ。
彼、一颯誠志朗は愛莉の兄であり、この家の長男でもあった。
愛莉と誠志朗は、二人兄妹で年も離れている事もあり、とても仲が良い。
周りから見れば恋人同士に見えないこともない。
顔があまり似ていない所為もあり、二人で出かけようものなら、店員に彼氏さんですか?と問われるのが常だった。
その度に愛莉は、恥ずかしさと優越感を味わうのだ。

「今日仕事終わるのは早いんだね?」
「あぁ、最近どこも物騒だろ? だから早く上がれってさ」

これで、仕事の量は変わらないんだから、と誠志朗。
彼は、公務員だ。
自宅から2時間以上も掛かる都内の市役所に勤めている。
去年までは、この町の役場に勤めていたが、異動が決まり今年からは都内へと通っている。
一人暮らしをしないのは、何か思う所があるかららしい。

「とりあえず、お兄ちゃんがどいてくれないと靴すら脱げないんだけど?」
「あぁ、すまん」

誠志朗に続き、愛莉も靴を脱ぎ、揃えてから自分の部屋に向かう。
この一軒家は愛莉が生まれてから建てられた物で、ローンもあと数十年残っている。
綺麗好きな母親が掃除をしているのでホコリやチリなどはめったに見当たらなかった。
2階にある自室に入り、愛莉は制服から私服へと着替えた。
先程から食欲をそそる香しい匂いがしていて、空腹の愛莉は急いでリビングへと向かった。

リビングには既に誠志朗が居て、最近買い換えたばかりの(誠志朗が両親にプレゼントした)40インチの液晶テレビに見入っていた。
画面にはニュース番組が映っており、キャスターはカメラ目線で淡々と現在起こっている事件について語った。
愛莉は画面越しのキャスターと目が合い、彼の声に耳を傾ける。
映像は見知った場面へと変わり、あの殺人事件についてキャスターは話し始めた。

「あ、今のってうちからすぐの商店街じゃない?」
「昨日の夜も誰か殺されたらしいな」

愛莉が言うと誠志朗が直ぐに反応を示す。
え、と愛莉はテレビ画面から兄に目を向ける。
今朝は寝坊してしまい、まともにテレビを見ていなかった愛莉だけが驚きの声を上げた。
学校でも、その話題は耳にしなかった。
皆、怖いからだろうか。それとも、市瀬が言った様にただ単に興味が沸かないからだろうか。
愛莉はリモコンで音量を上げて、キャスターの声を聞く。

『繰り返します。昨夜2時半頃、矢葺商店街の一角で、今まで同様の犯行が起きました。
商店街に住む自営業の深沖祐子さん38歳が倒れているのを夫である男性が発見し、病院に運ばれましたが1時間後死亡が確認されました。警察は……』

そのショッキングな内容に、愛莉は絶句する。
死亡、と書かれた上部に映っている顔写真には見覚えがあった。
いつも母に頼まれておつかいに行く商店街の、精肉店の奥さんが深沖祐子さんその人であったからだ。
顔色が悪いのだろう、誠志朗が心配そうに愛莉を見つめている。
愛莉は、自分の体温が急激に冷めていくのを感じた。
奥歯がガチガチと音を立て、全身の力が抜けていくのが解った。

「大丈夫か、愛莉?」
「う…うん……ちょっと、気分悪い……」
「部屋で休むか?」
「うん、そうしようかな……」

誠志朗に支えられ、リビングを後にする。
キッチンの方から母親の心配そうな顔がちらりと見えた。

「ごめんね、お兄ちゃん」
「いや……俺も深沖さんについては驚いてるから、お前の方が辛いのはよく解るよ……」
「一昨日会ったときは凄い元気だったから、祐子さん」
「……そう、か」

二人とも押し黙ってしまう。
愛莉はベッドサイドに腰掛けて青ざめた顔をしている。
誠志朗は、1階へと戻りミネラルウォーターの入ったコップを手に、また愛莉の部屋へと戻ってきた。
コップを愛莉に差し出し、愛莉はそれを受け取って少しずつ胃に流し込む。
水分を取ったおかげで愛莉の顔色は少し赤みを帯びてきた。

「もう少し休んでから、下降りるね」
「解った。飯は?」
「後で食べるから、別で取っといてってお母さんに言って」
「食い意地だけは張ってるなー」
「もう! うるさいよっ」

床に置いてあったクッションを誠志朗に投げつけるが間一髪、誠志朗は部屋から脱出し、ドアを閉めた。
クッションはボフッと音を立ててドアに当たり、床に落ちた。

「明日、祐子さんのところに行こう……」

もごもごと口の中で呟いて、愛莉はベッドの上に寝転がる。
そのまま、目を瞑っていると眠気を感じた。
意識を無くす最中、事件について何か思い浮かんだが、直ぐにその考えは睡魔によってかき消されてしまった……。