黄昏時々、いとけなし 第1話「俺の中ではすでに19年経っている訳で……」

俺の家に、あいつがやってきたのは俺が8歳の時だった。そして、あいつ――立川俊(たちかわ すぐる)――は、俺のお世話係となったのだった。




「また、ゲームですか?」
いきなり声を掛けられ、驚いた俺はコントローラーを床に落としてしまった。36インチ地デジ対応の薄型テレビから、ゲームオーバーを告げるBGMが悲しく流れる。しかも、昨日の晩からせっせと進めたRPGはセーブをしておらず、俺の労力と消費した時間を無残にも一瞬で消し去ってしまった。
声の主を見やる。キリっと細長の瞳が俺を見下していた。負けじと俺も相手を睨み返す。
「うるさい! 俺の時間を返せっ! セーブしてなかったんだぞっ!?」
「知りませんよ、支度をしてください。大学に遅刻しますよ」
サラリとそんな事を言ってのける。俺の家は曽祖父の代から地主で生活には全くと言って良いほど困らない。地主の息子という立場の俺は、大学になんて行かなくてもいいが、趣味の油絵を極める為、美大へと通っている。油絵で飯を食っていけたら、なんて小学生が考える様なお粗末な未来像を掲げていたりもするが、そんな事は両親にも言えるはずなく(言っても別に支障はないのだが)なんとなく通っているという事になっている。実際問題、俺が親父の後を継ぐのだろうし、レールに敷かれた人生も嫌いじゃない。こんな性格だから、自分で将来を決めるという方が面倒くさいと感じてしまったりしている。そこが駄目なのだ、とよく立川に説教を食らうが、立川本人だって他人に決められた仕事をしている時点で、言えた義理じゃないと俺は思う。
「解った。けど、絶対根に持ってやるからなっ!」
呆れた様にため息を吐いて、立川は画材道具と鞄を俺に手渡してくる。立川は俺より3つ年上の24歳で、今は俺の世話係という名目で俺の親父に雇われている。そして、立川家は俺たち嶋津家の分家に相当する。分家は代々、本家である嶋津家の身辺全般を受け持つことになっている。勿論、仕事の上でも、私生活においてもだ。俺が初めて立川と会ったときはお互いにまだ子どもで、俺は兄が出来たみたいで凄く嬉しかったのを覚えている。それに、当時の立川は俺に低姿勢で、物凄く優しかったと記憶している。15年程経つと、誰しも変わるとは解っているがここまでとは当時の俺も今の俺も想像出来なかった。
「樹(たつき)様、お急ぎください!」
「へいへいっと」
立川が運転する車の後部座席を陣取り、俺は欠伸をする。車に乗るといつも眠気がやってくるのは何故だろう。昨日の徹夜の所為もあり、出発すると同時に俺は意識を手放した。
「さま…………樹様!」
「っんあ!?」
「到着しました。さっさと降りてください」
「お前……」
その言い方はいくらなんでもないだろう。イライラしつつ俺は鞄を持ち、車から降りる。ドアを思い切り閉めてやった。立川は驚いた顔をして見せたが、それは一瞬だけだった。
「嶋津くーん!」
「ゲッ……」
声の人物は、こちらへと駆け寄ってきていつもの様に俺の腕へとへばり付いた。いい加減止めてほしいものだが、もう慣れてきている自分がいるのも事実であり……。
「あっ俊さんもっお早う御座います!」
「お早う御座います、木之下さん」
木之下千歳(きのした ちとせ)、俺と同じ美大に通うクラスメイトだ。こいつも油絵を専攻していて、まぁまぁ俺と良い勝負をする。今時にしては珍しく黒髪でストレートへアー。誰もが一度は振り返るだろう整った顔立ちをしている。
「あの、木之下、いい加減腕……」
「嶋津君、俊さんの前だからって照れないでよ! いつもこうしてるじゃん!」
いや、全く身に覚えないんですけどー!??
「樹様は素敵なご友人をお持ちですね。木之下さんの様にお美しい方がそうして側に居て下さるのは、私としても鼻が高いです。……それでは樹様、また授業が終わった頃にお迎えに上がります。では、木之下さんも勉学に励んでくださいませ」
にこやかな笑顔のまま、立川は車を走らせて去って行った。
「やべー……マジ好みだわ」
そして、俺の腕に絡み付いていた奴が本性を露わにする。木之下千歳はおもむろに自身の黒髪に手をやり、それを頭の上から取った。ウィッグというやつだ。黒髪ウィッグの下には木之下自身の金髪がお目見えしていた。
「お前、そろそろマジでその女装やめろよ……」
そう、木之下千歳はれっきとした男なのだ。立川に気があるらしく振り向かせようとこんな格好をわざわざしているのである。
「僕の趣味に一々文句付けないでくれる? 樹」
「付き合ってやってるこっちの身にもなれっての……」
「まーいーや! ほら、急ごうぜ遅刻するっ」
「おー」
1限目は座学だった為、俺と千歳は隣同士で座りノートにペンを走らせている。
「でもさぁ、立川の何がいいんだ?」
千歳は、いわゆるバイというやつだ。だが最近は専ら立川に夢中な為女には興味がないらしい。
「お前、あんなに良い男そうそういないよ?」
「……お前の趣味を疑う……女装も含めて」
先程のワンピース姿から一変、千歳はジーンズにTシャツというラフな格好をしている。
「必要だからやってるだけだっての。可愛いって罪だよねー」
「自信があるってすげぇよな……」
「そういう樹だって地主息子じゃん」
「いや……別に誇れる事じゃないだろそれ」
「こら、そこ静かにー!」
「あ、済みませんっ」
教授に注意され、俺たちの会話はそこで終った。その後は淡々と講義をこなして行き、夕方になる頃にはすべての講義を終えた。校門前に行くと、見知った黒の高級車が止めてある。
「樹様、お帰りなさいませ」
「あー、うん」
立川が運転席から降りてきて、後部のドアを開いた。俺はいつものように車に乗り込む。
「嶋津君、また明日ね!」
「あぁ、また明日」
「では、失礼します、木之下さん」
木之下に一礼をして、運転席に戻りドアを閉める立川。直ぐにアクセルを踏み車は大学を後にした。
「樹様、このまま雅のところへ向かっても構いませんでしょうか?」
「何? またあいつ何か用あるの?」
雅とは、俺と立川の幼馴染だ。近所に住んでいて小さい頃よく一緒に遊んだりした。立川と同い年の24歳で今は高校で美術の教師をしている。車は大通りを抜け、閑静な住宅街へと進んでいく。特徴的な赤煉瓦の邸宅が、雅の家だ。門の隣にあるベルを鳴らすと、直ぐに老人の声で応答があった。
「はい、蘇芳で御座います」
柔らかい声色は、聞いていて心地が良かった。蘇芳家の執事、後藤さんだ。
「立川です。雅さんはご在宅でしょうか?」
「あぁ、俊様こんにちは。今、門を開けさせて頂きますね」
後藤さんが言い終えると同時に、俺たちの目の前にある門が大きな音を立てて開いた。車はそのまま進み、指定の位置に駐車した。
「俊、タツよく来たな」
雅が車の窓ガラスにひょこりと顔を覗かせた。薄い水色のYシャツにベージュのベスト、黒のパンツというラフな格好をしている。身長もある為、スラッとしていてよく似合っていた。俺は、雅には他人よりも強い憧れを抱いている。何せ、雅は美術教師なのだ。しかも大学の時は俺と同じで油絵を専攻していたと聞いた。
「雅! また何か新しいの描いたか?」
「今は作業中だよ」
「雅、例のもの持ってきたぞ」
「あぁ、解った。とりあえず二人とも上がれよ。タツはちょっと居間で待っててくれるか?」
「え? うん、解った……」
居間に案内された俺は、そのままソファに座り、後藤さんに紅茶をご馳走になった。雅の家に来る事は多いがその殆どは立川の私用でだ。俺一人で来ることもあるが、そういう時は雅と二人で雅の作品を見たり、絵画について話したりしている。俺は立川と雅が二人で何をしているのか知らない。興味がないと言ったら嘘になる。正直、とても気になるし何故俺はこうして待たされるばかりなのか納得がいかない。だけど、なんと聞けばいい? 俺も混ぜてくれ、そんな青臭い事言える訳がないだろう。
「樹様、お待たせ致しました」
「タツ毎回俊を借りてごめんな」
「いや、別に俺は……」
「では、帰りましょう樹様」
「あ、うん……」
「俊っ!」
雅の手が、立川の頬を撫でる。立川も俺より背は高いが、雅の方が更に高い為、なんだか二人を見ているととても絵になる。というか、何故か見ている俺がドギマギしてしまう。
「何だよ」
「ホコリ。ごめんな、部屋散らかってたし……」
「気にするな。……樹様?」
「えっな、何……」
「顔が赤いですが、如何なさいましたか?」
「っべ、別に!! 帰るんだろっ! さっさと行くぞ!」
お前らのせいだろう! なんて言える訳もなく俺は一人ずんずんと蘇芳邸を後にする。後ろから雅の笑い声が聞こえたが、恥ずかしいから無視しておいた。